h1テキストが入ります

事例紹介

公共建築など

兵庫県立図書館・明石市立図書館の今

兵庫県立図書館・明石市立図書館

全体構想・基本計画:兵庫県建築部営繕課
兵庫県立図書館 実施設計・工事監理:兵庫県建築部営繕課
明石市立図書館 実施設計・工事監理:安井設計事務所
(1975年1月号)

竹山清明
建築家
1級建築士事務所 生活空間研究所

元兵庫県建築部技術吏員
元京都橘大学現代ビジネス学部教授

兵庫県建築部営繕課のことなど

かつて学んでいた京都大学建築学科の大学院修士課程を修了すれば、意匠研究室(増田研究室)在籍者は、ほとんどが竹中工務店設計部か日建設計などの有名設計組織に就職していた。個人的には、将来的には建築家になることを目指していた。しかし建築設計しか学べない職場に就職することには、視野が狭くなるのではないかと幾分の危惧を覚えた。

そこで総合的に建築・デザイン・都市計画を学ぶことのできる職場を探し、行き当たったのが、兵庫県建築部営繕課であった。当時、兵庫県営繕課は内部設計を行っていたこと、営繕課長であった光安義光は大学の指導教官であった増田友也と親交があったこと、増田に相談すると光安の元で学ぶことは良いことだと背中を押されたこと、などにより、兵庫県営繕課が最初の職場となった。

図書館プロジェクトの進め方とコンセプト

兵庫県立図書館・明石市立図書館のプロジェクト(以下、図書館プロジェクト)は、営繕課に入って2年目(1971年度)の大きい仕事であった。 プロジェクト全体を営繕課で計画し、県立図書館は営繕課が実施設計と工事監理を行い、明石市立図書館については安井設計事務所が実施設計と工事監理を行うという進め方であった。

1975年の「建築と社会」の記事には、当たり障りの無い内容しか記すことが出来なかった。しかし関係者のほとんどが鬼籍に入ってしまった現在であれば、当時のリアルなプロジェクトの進め方について、幾分の実情を記録しておくことに意味があるかもと考え、以下に概要を記したい。

当時、営繕課では、課内コンペ、係内コンペという設計の進め方があり、年が若くてもコンペで勝ち取った者がプロジェクトリーダーなるという方式が採られていた。 図書館プロジェクトでは、私の計画がコンペで勝ち、プロジェクトリーダーになった。図1の左側の当初スケッチが、コンペ時のコンセプトであった。緑豊かな明石公園内に建設するということで、建物が突出しない計画を考えた。両図書館の真ん中に中庭を設け、それを取り囲むように段々状に建物を配置し、段々状の屋根スラブの上に豊かな植栽を配置して、小山のような景観をつくり出そうというのが計画意図であった。図書館へのアプローチは、両図書館の建物の隙間から、豊かに茂った木々の間の小径を通って進入してもらおうと考えた。なお、この計画案を作成するに当たっては、ケビン・ローチの図書館計画を参考にした。

図書館建設委員会で大きな転換

ところが、あるときに図書館建設委員会が開催された。図書館プロジェクトの基本計画の承認の場である。当時、就職して2年目の若造である私は、プロジェクトリーダーであるにもかかわらず、同委員会の出席者から外された。当時から口が減らないので、「あいつを出席させればもめる」と心配し、外されたのかもしれない。

私が欠席したその委員会で、とんでもないことが決まってしまった。委員である眼鏡屋の女あるじが、入口の幅が狭いのでその部分を大きく拡げるべきであると強く主張し、その場に臨んでいた営繕課の幹部がそれを飲んでしまったのである(図1の変更スケッチ)。その女あるじは、図書館と劇場の出入り口を混同してしまったのであろうが、意味の無いそのような主張に唯々諾々と従った当時の営繕課の幹部も情けないことであった。

もし私がその委員会に出席しておれば、当初案の意味を丁寧に説明し了解してもらうことが出来たであろうと信じているが、今もって残念なことである。

当初の計画では中庭は建物と緑に囲まれた、落ち着きの中に集中感がある魅力的な空間にデザインする予定であった。しかし無配慮な計画変更で、この目論見はつぶされてしまった。空間計画的な意図無くダラリと開かれた前庭は、かなりの改善の努力を行ったが、設計者としての能力不足もあり、中途半端な空間づくりにしか到らなかった(写真1)。写真の向かって左が兵庫県立図書館、右が明石市立図書館である。空間づくりに悩んだ末、安直に意図少なく緑で埋めてしまった。この写真は現在の姿であるが、やはり魅力に欠ける空間であると少し情けなく感じる。様々な空間を経験した現在であれば、例えばダラスのカーンのキンベル美術館の前庭のように、幾何学的に整然と配列した樹木で魅力的な空間を創造することなども出来たであろうが、学校を出たての身ではそこまで思い至らなかったのである。

さて、当初計画が大きく変更になったので、営繕課内では再度、デザインに関するコンペが行われた、2度目のコンペも私が勝ち、再度プロジェクトリーダーになった。当初の緑に包まれたデザインイメージは放棄せざるを得ず、大学院で学んだコンクリートの打ち放しを煉瓦から突出させて陰影濃く用いるデザインでまとめた。

そして基本設計・実施設計・工事監理を担当し、1975年に「建築と社会」に掲載された形で完成したのである。

丁寧な補修で大きくは変わらない県立図書館と駅前に移転の明石市立図書館

今回の掲載記事をまとめるため、久方ぶりに図書館を訪問した。県立図書館は昔のまま存在している。しかし明石市立図書館は、明石駅前の再開発ビル内に移転してしまっている。当初の計画では、市立図書館が地域サービスを受け持ち、県立図書館が県下の市立図書館のネットワークの中心に座って、市立図書館を指導・補完するという位置づけであった。しかしこの目論見は崩れ、県立図書館も地域サービスに手を割かざるを得ない状況になっているようだ。

さて、県立図書館は、耐震補強と外壁の傷みの補修で、かなりの大がかりの修繕工事を行った。しかし非常にスマートに改修工事が行われたため、主要部分の変更はほとんど目に付かない。普通、耐震補強と言えば、斜材の鉄の無骨な筋交いを、窓の開口部に無神経に取り付けるという、機能面だけを重視し、建物のデザイン的な美しさを損なうことには無頓着な事例があまりにも多い。しかし県立図書館では、一部の窓開口を耐力壁に変更したり、壁厚を増やすなどの、ほとんど目立たない手法で行われた。かなりの修繕工事が行われても、新築時の空間づくりがそのまま大切にされて、景観や空間の質が保たれているというのは素晴らしいことであると思う(写真2)。

公共施設は長く大切に使い続けてほしい

また一般に公共建築では、築後40~50年経過すれば、取り壊し・新築となってしまう事例は少なくない。そのような世間的な風潮とは異なり、兵庫県が古い建物であっても修繕に費用をかけて長く活用しようという姿勢を持っていることは高く評価したいと思う。

私が兵庫県在籍中にチーフとして担当したもう一つの大きい施設である尼崎青少年創造劇場(ピッコロシアター)も、同様に修繕を行いながら使い続けられることになっている。

兵庫県が、このような姿勢を今後も継続することを強く望みたい。

一方で、旧明石市立図書館の建物が、「別用途で使うのなら、都市公園内に立地できないと」との理由で、県の土木担当部局から取り壊しを迫られているという話しも仄聞する。取り壊して駐車場にするようにと指導であるようだ。しかしまだまだ使える建物で、取り壊ししてしまうのはいかにももったいない。

県立図書館の弱点は、蔵書数が少ないことである。 近傍の公共図書館に較べ蔵書数が65万冊とかなり少ない。国会図書館の約千万冊にはとうてい及ばないとしても、神戸市立図書館の約190万冊や大阪府立図書館の約250万冊は、一応の目標に掲げるべきなのではないだろうか。政令指定都市や東京区立図書館などでは200万冊の水準はザラで、65万冊ではいかにも少ない。

旧明石市立図書館の建物を市から譲り受け、県立図書館の別館として活用する方法は考えられないのであろうか。これからの蔵書の受け入れ先として旧明石市立図書館の床を書庫として活用することが、考えられてもよいのではないかと思う。元々は、県立図書館の現在の積層書庫を延長して隣接地に積層書庫を増設するというのが当初の構想であった。例えばこの提案のように建物を購入し、旧明石市立図書館側に大きな書庫が出来るとすれば、管理諸室や閲覧スペースとの関連で、機能的混乱が生じる可能性はある。しかし大きな床面積があれば、大胆で柔軟な計画の変更で、新たな使いやすい建物として再生できる可能性もある。旧明石市立図書館の建物を入手すれば今後の改修費や維持管理費は必要となるが、当面の取得費用はほとんどかからないであろう。とりあえず押さえておいて、料理法は今後じっくりと考えるということも考えられて良いように思う。

図1 当初スケッチと変更スケッチ
(上図は断面イメージ、下図は配置イメージ)

写真1 まとめきれなかった前庭の空間
左側が県立図書館、右側が明石市立図書館

写真2 ほとんど建設当初の姿を残しながら改修されたファサード

© 生活空間研究所. All Rights Reserved.